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青木200+1安打 94年イチロー以来2人目

初回初球!「どんな球が来ても振ろう」積極打法で決めた
ヤクルト・青木宣親外野手(23)が11日の横浜戦(神宮)でシーズン200安打を達成した。
初回の初球を右前安打。5回には左前へ201本目を放った。
1994年のオリックス・イチロー(現マリナーズ)以来プロ野球史上2人目の快挙。
首位打者、新人王をすでに確実にしているプロ2年目の安打製造機が、またひとつ球史に名を刻んだ。


2つの花束と大きな記念ボードで、顔が隠れてしまいそうだった。
大歓声に驚き、青木はあわててヘルメットを脱いだ。
「守備位置についても本当に打ったのかなって。夢のような数字ですね」
1994年のイチロー以来2人目の200安打達成。新たな英雄誕生の瞬間は、どこまでも初々しかった。
「あと1本」は、いきなりだった。初回、門倉の初球、141キロ直球を思い切り振り抜いた。
一、二塁間をゴロで破る右前安打。
「どんな球が来ても初球から振ろう。凡打してもいいと思っていた」狙い通りの積極打法で決めた。
ドラフト4巡目で入団したプロ2年生。1年目の昨季は1軍で15打数3安打に過ぎなかった。
突然の才能開花は、おう盛な探求心がもたらした。
「打てる人にはそれなりの理由があると思う」とイチロー、古田らの打撃フォームを参考にし、
積極的に試合で試してきた。
実体験で蓄積したデータを生かし、今では重心の位置、構える際のバットの揺らし方、
投手に対するスタンスの角度などを、その日の調子、相手投手によって微妙に変化させている。
「スランプにならないために、ポイントはいくつか持っています」
それぞれを組み合わせたバリエーションは無限大。研究の成果が生き、3試合連続の無安打はなかった。

もちろん、つらい時期もあった。
9月に自打球を左すねに当てて2試合に欠場。注目度が増し「心身ともに疲れていた」と振り返る。
相手に研究され、思うように安打が出ない。それでも、決して野球から逃げなかった。
早出特打は欠かさず、試合後は入念なマッサージとアイシング。
アルコールはほとんど口にせず、体調管理に努めた。
「彼女? 今はいりませんね。野球をやっているのが楽しくて仕方ないんです」
夢、目標に対する“集中力”が偉業を引き寄せた。
「200本目を引っ張れてよかった」中堅から右方向への安打は全体の4分の1。
区切りの1本は、さらなる成長への序曲だ。
「次のステップは考えていない。オフにゆっくり理想とする野球選手像を考え直したい」
栄光をスタート地点に、青木が偉大な野球人生を歩んでいく。

◆青木 宣親(あおき・のりちか)
1982年1月5日、宮崎県生まれ。23歳。日向高では投手として活躍し、3年夏の県大会でベスト8。
早大に進学後、外野手に転向し、3年春から3季連続でベストナイン。
3年秋には首位打者も獲得し、3、4年時のリーグ戦4連覇に貢献。03年ドラフト4巡目でヤクルト入団。
1年目に打率3割7分2厘でイースタン・リーグ首位打者。2年目の今季は開幕から中堅のレギュラーに定着。
175センチ、77キロ。右投左打。独身。今季年俸は1000万円(推定)。