第25回日本リーグ
《参考資料1》
「日本文化出版」発行の「'93チームの顔」の160ページ
《参考資料2》・・・2004年7月26日に追記
■1991年・平成3年(第25回)・・・ベスト6賞、スパイク賞・決定率53.1%
試合数 14
セット数 56
打数 465
得点 62
特権 185
計(得点+特権)247
→この「計」はスパイク決定本数のことであり「リーグ11位」
決定率 (得点+特権)÷打数=53.1
失点 7
失権 10
計(失点+失権)17
失敗率 (失点+失権)÷打数=3.6
《参考資料2》・・・2004年6月6日に追記
月刊バレーボール92年(平成4年)2月号
■32〜33ページの記述(抜粋)→開幕の日立対ユニチカの模様をレポート
四半世紀の記念年を迎え、生まれ変わった第25回日本リーグは正月気分も
さめやらぬ1月4日、大阪など3会場でまず女子が開幕。
(中略)
今回から新しく採用されたチームのニックネームは、日立がフランス語で「美しき
乙女たち」を意味する「ベルフィーユ」
(中略)
第1、第2セットは日立ペース。
(中略)
一方、ブロックでは吉原、福田が相手の動きをよく見て、ユニチカの中村、佐伯の
パンチ力を封じ込んだ。
(中略)
もつれ込んだ第4セットは途中から中村が足を痛めて退場していた。
となれば、攻めの多彩さで日立が上回る。
吉原がブロック、福田が強打、大林が速攻で攻め、ユニチカは佐伯が孤軍奮闘の状態。
逆転した日立は14−12から大林がスパイクを決めて接戦をものにした。
(以降は省略)
■36ページ→各チームに関する記述の中で日立の部分から抜粋
開幕戦がユニチカ、東芝とそれぞれフルセットの大接戦。
(中略)
福田と馬場をレフトに、吉原と新人・多治見でセンターラインを組み、
大林をセッター・中田の対角に入れるのが先発ポジション。
(中略)
今回、優勝するとすればポイントになると期待した吉原が東芝戦でスパイク、ブロックとも
いまひとつ。それに前回小田急との1回戦でまさかの黒星を喫したように、どうしても
下位チームが相手だと気が抜けるような面が依然としてある。
(以後は省略)
■176ページ(第1週の戦跡)
■第2週〜5週の戦跡
※この第2〜5週のみ参考資料が違います。
第2〜5週の戦跡の参考資料は「月刊バレーボール92年3月号」182〜184ページ
■139〜145ページ(ステキなマイ・チームという特集で日立が取り上げられている)
その中で吉原選手の部分を抜粋
《参考資料2》・・・2004年7月26日に追記
第25回日本リーグの決勝ラウンドに関する記事等
バレーボールマガジン92年5月号
70〜75ページ(特集!第25回日本リーグの一部分)
152〜153ページ(スコア)
以下の記載によると、吉原選手が本当に第25回日本リーグでベスト6賞とスパイク賞を
受賞している事が分かる。