2004年11月 4日
朝から晩まで気分がよい1日だったので、
今日から急にこのコンテンツを始めることにした。
日記というのは書いたことがないと言うか、たぶん3日と続かないと思ったので
適当に思いついた時だけ、という条件で書くことにした。
あとは「更新が滞った時の日記頼み」とでも言うのだろうか?
ちなみに、この「日々是毒舌日記」は「ひび・これ・どくぜつにっき」と読む。
文句をたれたり、愚痴を書いたりすると思うが、
このページに関してのクレームは一切禁止する。
私の考えていることをそのまま書くだけなので、
気に入らない人は読まなければ良いのだ。
冒頭の部分に書いたのだが、とにかく朝から夜まで非常に気分の良い1日だった。
まずは朝起きたら天気がよい!
そして仕事は休みである。
最初は特に用事がなかったのだが、職場の同僚、いや業界の後輩というべきか?
彼女は私より14才ほどお若いギャル(死語?)なのだが、その子と共に関東地区某所のサンセットを見に行った。
サンセットの1時間ほど前に到着し、あらかじめ準備しておいた一眼レフデジカメをセットしたり、
2台あるデジカメのうちの1台の使い方を教えたりしていた。時間に余裕を持って出発して正解だった。
非常に綺麗な夕焼けが撮れたので、その中の1枚をこのページの背景にしてみた。
今回のお出かけは、ある1つの大切な目的があった。
同行した彼女は今とても辛い状況にあるらしい・・・。
らしい、というのは「詳しくは分からないけれど、多くを語らない中で時折ボソッと発する一言から
察したものをつなぎ合わせた結果、そうではないかと思われる」という程度のことであるからだ。
カメラの扱い方を少し教えた後は1人にした方が良いと思ったので、夕日が沈みきるまで海辺をウロウロしていた。
波打ち際で「どこまでも続く水平線」と「丸いままで沈む夕日」を見ながらボ〜ッとするのも、
必要ではないかと思ったのだ。
私は気の利いた言葉をかけられる人間ではないので、そういう時間を作るためのお手伝いをしたまでだ。
その後は、しゃぶしゃぶを食べ、色々なところのライトアップを見て、送り届けてから帰宅した。
元気になるまでの回復過程の1つであることを願って止まない。
お陰で私は綺麗な写真が撮れたし、綺麗な景色が見られたし、美味しいものが食べられたし、言うことなし!
こういう1日もまた“イト楽しケレ”
2004年11月 7日
西武球団売却は驚いたが、よ〜く考えてみると伏線があったのだと感じる。
堤さんがナベツネと会っていた頃から話が出ており、水面下で準備していたのはミエミエ。
あの2人は、自分達に飛び火が来ないようにサッサと退陣してるけど、裏で手を引いているに決まってる。
ライブドアにに打診をしたけど「検討もしていない」という報道である。
堀江さんの立場からすると「検討するに値しない」ってことかしらね。
私が同じ立場になっても同じく「検討すらしない」と思う。
もっと別のところにお金を使う、たぶん。
もう1つ野球ネタ。
楽天が初の会議で色々と言われたらしいことは、インターネットのニュースで見た。
2軍に関してのことみたいだけど、既存チームのオーナーは本当にケツの穴が小さい!
馬鹿じゃないの、と言いたくなるけどね。楽天は大して問題にしてない気もする。
やりたい放題というわけにもいかないだろうけれど、
遠征費のことをチマチマ言うのなら、最初から参入を認めなければ良いのに!
楽天の参入は「オーナー会議で決められた」のだから、今さらという感じ。
アホくさい。
昨日は仕事の終わり際に緊急事態が入ったので、
通常よりは30分遅れ程度で業務が終了。
普通ならそのまま帰宅するのだが、最近、良く遊んでいる教育委員(?)が
本日11/7に30才の誕生日を迎えるということで、
もう1人の子と3人でしゃぶしゃぶを食べに行った。
いつもより2ランク上の牛肉で脂身の少ない肉にして注文した。たぶん気付いてないと思うけど。
職場から私のうちに車を取りに帰り、
私の車に2人を乗せてしゃぶしゃぶを食べに行ったのだが、教育委員でない方の子が
「食事会の後に関東地区某所で用事がある」というので、
そこに送ってから誕生日の教育委員の子を送り届ける予定にしていた。
・・・が、関東地区某所を出たのが時間的に早かった(22時代)のが致命的(?)で、
車中で相談の結果「一旦、車を置いて再びカラオケ」という話が即決!
で、まあ、帰宅は本日の午前3時ちょい前ということで・・・。2人で3〜4時間は歌っていたかな。
最後は声が出にくくなっていたのに、少し休んでまた歌うという芸当も出た。
最近、よく「白髪が増えた」と言われているのだが、気にしてないようで実はすごく気になる。
どうにもしようがないので、とりあえずしばらく様子を見るしかないのだという結論にしようと思っている。
2004年11月10日
今日は仕事が終わってからの時間を利用して「無意味なミーティング」が開催された。
下らない。途中から空腹で仕方がなかったので話半分の状態であった。
主催者は「それを開催している」という事で満足している感じなのだ。要するにパフォーマンスである。
こんな事で大の大人を何人も足止めするなんて下らない。
嫌なら辞めればいいではないか、という声が聞こえてきそうだが、それに関しては後日記載することにする。
皆さんは自分自身の疲労度をどのようにして測定しているのだろうか?
面白い本が私の自宅にあったのを急に思い出したので、
この記事を書くことにしたのだが、ただ単に感覚としてのものでは曖昧である。
作家の上坂冬子氏は著書の中で以下のように述べている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
飛行機に乗るとおしぼりが出る。いつの頃からか新幹線も真似して、
グリーン車の客にも配るようになった。それが嫌で最近はグリーン車を避けている。
何が嫌かというと、その出し方だ。
こちらが両手で本を開いていようと、新聞を広げていようと、
構わずに目の前にぬっとおしぼりを出されるのはたまらない。
人が本を読んでいるのに、
手を放して受け取れというのはサービスではなく嫌がらせというものだ。
(中略)
たとえば、おしぼりの出し方に腹を立てながら
私は密かに立腹の具合を自己診断しているのだ。
ムカッとしたまま半日くらい気の静まらないときもあれば、
同じ扱いに対してさほど気にならない日もある。
その差はもっぱら私の疲労度と関係があった。
つまり私にとって立腹の具合が疲労のバロメーターとして利用できるのである。
講談社 1991年3月25日発行 上坂冬子著「ひとりで暮らす、ひとりで生きる」より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は、自分で車を運転するのだが、この上坂氏が言っているような「疲労のバロメーター」は、
運転している時に道を譲れるかどうかという点に尽きると感じている。
いつも通る狭い道だけでなく、高速道路の合流とか、信号のない交差点とか、色々な駐車場での
出入りとか、日常で自家用車を使う全ての場面で「道を譲る」という場面に出くわしている。
そういう時、相手に対して「お先にどうぞ」と思えるかどうか、である。
これが出来ない時は「自分は疲れている」と思うことにしている。
この技法(?)上坂氏の著書を読んでから実行している方法である。
他にも何種類か試したのだが、最も自覚しやすいのはこの方法であった。
皆さんはいかがだろうか?
2004年11月16日
私は、現在の職場に今年の5月も終わりに近い頃から就職した。
3ヶ月間の試用期間を終えてようやく(?)本採用になったと思われる時期になり、
用意周到とも言うべき、周りから固められて引き受けざるを得なくなったことがある。
研究論文をまとめるという共同作業がそれである。
職場でのことだから、大抵の人は(日常業務かどうかは別として)仕事だと思っている。
しかし、私は「自分を教えてくれた先輩達」から「この業界に1年でも先に入った人間に
課せられた責務」だと洗脳(?)されているので、仕事だという発想がないのだ。
12月に発表が控えているのだけど、そこを目標にはしていないのでもっと上を目指している。
私が、学会で賞取りを目指す・・・と言った時、
周りの子達は「このオバサン、何言ってんの」という感じの表情だった。
運動会でのかけっこ。
3位を狙っていては1位は取れない、理由は「3位の実力しか出ないから」だ。
そんな上を目指す必要はないという陰口を実際に聞いたというスタッフからの話もあった。
ここまで読んだ吉原さんファンの読者さんはお分かりだろう。
そう!
ワールドカップ2003の全日本チームが集まった時のあの映像の中で吉原さんが
「このチームでワールドカップ優勝を目指します」
と言っていた場面を思い出して欲しい。正にそういう感じなのだ。
「研究論文をまとめるという共同作業」をするだけなら、
それは単なる経験で終わってしまう。
しかし、私は普通と違うので単なる経験だけで終わらせる気はない。
思い上がりと思われても構わないし、
何と言われても微動だにしない私が狙うのは・・・。
経験を実績に変えること、である。
12月の発表は小さい組織の中だけのものだが、
全国レベルのものにすると抄録として残る。
私以外の彼女達が一生今の職場で勤務し続けるのなら話は別だけど、
そういうのは皆無だと思う。
全国レベルのものになった場合、彼女達が次の職場に移る時、それを持参したりも出来るし、
面接の時の話題提供にもなるのである。そういう時の下地を作ってあげたいだけなのだ。
これから私が越えなければならない壁がいくつかあるし、それらの乗り越え方は知らない。
もしかしたらダメかもしれないが、その時はその時で「この話」は黙っていれば済むことだ。
内緒で進行するところに意義があると考えている。
とは言うものの、実は結構楽しく感じていたりすることもしばしば・・・。
何とかものにしてあげたいと願っている今日この頃である。
本当に全国レベルのものになった時は・・・。
腕を組みつつ、ほくそ笑みながら「引き際」というものを実感している私がいるだろう。
2004年11月24日
私は夜更かしオバサンか〜!?
我ながら体力があるなと感じている今日この頃でR(アール)。
時差出勤のある職場なのだが、日曜日、すなわち21日は3時間ほど仮眠らしきことをしただけで
22日は夕方から研究班の集会があり、いつもより少な目の睡眠時間で参加した。
集会は予定していた通りに終わったので、研究班の皆さんを送り届けて帰宅しようとしたら、
教育委員の子が「お腹が空いた」と言ったので、どうせ翌日(23日)から3連休なので「良いよ」と言いつつ、
車をラーメン屋に向けた。目指した■■家がお休みだったので、近くの家系に行った。
この時、既に22日23時を回っていた。
そのあともファミレスで食べて、そしてひたすら喋って、結局、帰宅したのが23日午前4時半だった、このオバチャン!
遅くなることはあっても、こんなのは本当に久し振りだった。
でも楽しかったな〜。
・・・で、そんな時間に帰宅したものだから、寝るのは当然5時前後。
途中で一旦トイレに起きたものの、再び起きたら「いいとも」が既に終わる時間帯。
本当は24日も集会の予定にしていたのだけど、無意味なミーティングが開催されることになったらしく、
我々研究班の集会は中止せざるを得なくなった。
私?
連休中なんだから、そんな無意味なものに参加するわけないじゃんか!
アホくさいな〜。お馬鹿な責任者が「強制参加」とか言ってたらしいけど、
そもそも「休日に何をしようと勝手」なんだし、
勤務時間外の出勤を命じるのなら合法的にやってもらわないとね。
時間外手当が出るというのなら、書面で命じられるし、
そういうのがないのだし「出席の必要nothing」だわ。
なので、昨日(23日)は午後になって起きたものの、
今日の集会でやろうと思っていた事をサッサと仕上げなくてはならず、
自分の分はやってしまった。
実際の研究発表の時は
ノートパソコンを持っている教育委員の子に借りなくてはならないが、
それに際してちょっと聞いておきたかったことがあり、
その場で電話したら向こうも起きていた、と・・・。
教育委員は前日(22日)の集会にも参加しているから、
手伝ってくれていた部分に関しても
既に出来ているからメールで送りましたという直後だったようで・・・。
再びベラベラ喋っていたら「昨日の■■家がお休みだったのが悔しい」と言いだし、
連れて行けと言うので、ちょいと車の窓を綺麗にしてから行ったんだな〜、■■家。
“研究班のうちの1人”も・・・。
ラーメン屋だけで終わるはずがなく、ファミレスでおやつと称して甘いものを食べ、
彼女達はアルコールを飲み、そろそろ帰ろうと言ったのが午前0時。
2人を送り届けて私が帰宅したのは本日の0時半頃だった。
どうも長かった2日間のような気がしないでもないけれど、
自分の生活が一時的に昼夜逆転していただけだから、問題nothing!
だけど、今日のウチにやっておかなくてはならないことが・・・。
それは、明日の研究班の集会でこの部屋が使われるので「片付け」である!
論文本文は既に4/5程度が出来上がっているので、
明日は全員で「誤字脱字のチェック」と「軽く読み合わせ」を行うことになっている。
読み合わせをするということは、パワーポイントと同時に「発表原稿」を作成しなければならず、
それが少しでも出来れば良いかなと言う感じ。
2004年11月30日
いや〜、本当に嬉しい1日だった。
11月16日の所にも書いたのだが、私は現在の職場に今年の5月後半から就職した。
その中の配属場所にいる責任者は「いわゆる独裁者」いや、独裁希望者という感じだ。
まるで北朝鮮のような感じなのである。工作員まで養成しているから始末に負えない。
色々な職種が混在しているけれど、どの職種の人に「北朝鮮みたい」と言っても、
反論する人がいるはずもなく、同意するばかりなのだ。その位、変なところなのである。
北朝鮮も行ったことがないからどんな所なのかはニュースで知るしかないのだが、正にそんな感じの部署だ。
入るまで分からない、ってのがミソなんだよね、こればかりは・・・。
責任者の陰のニックネームは「キム」と言い、他部署の人もそう言っている。
で、まあ、そんな部署から脱出出来ることが決まったのだ。本当に嬉しい1日だった。
私は嫌みでも何でもなく脱北出来ることが本当に嬉しかったし、
自分の考えていた通りになっているので、スキップしてしまった。年甲斐もなく!
数人に宛てて、携帯から昼休みにメールを送った中に書いたんだけれど、
責任者に言われた時「やった〜、自分で言う手間が省けました。ラッキー」と言って
本当にガッツポーズをしてやった。
人がたくさんいる所で言われたので、皆が見ていたな。
あとは、今日の勤務に工作員(しかも最強工作員)がいたので、
若手工作員と共に宣伝に利用してやった。
あいつらに言うと、周りの工作員や責任者に必ず伝わるので、そこを使って
本当に嬉しがっているというのをキムに分かるようにしない手はないよね。
キムにしてみたら嫌みなこと、この上ない、って感じ?
友達がある大きな所の管理者をやっているんだけど、
勤務交代(人事異動のことね)を告げた時に
嬉しい顔をされた時はショックだったと言っていたな〜、そう言えば。
とにかく・・・。
あの部署を出られると決まったことが、自分で管理職に申し出ることなく、
人事異動というLucky-waveに乗って向こうからやって来たのだから、乗らない手はないでしょ!?
願わくば、自分で希望して出る方がキムの評価を下げるには良いんだけどね。
今日はサッサと新しい部署に行って挨拶して来た。
今の部署の主任が昨日のうちに、新しい所属長から「■■さんって、どんな人」と聞かれたらしい。
でも、主任もキムのことを嫌っているので、キムから変な話が行く前に「ちゃんと言っておいた」と教えてくれた。
この主任も来年3月で退職することが決まっている。
新しいところには、あまり先入観を持たないで行きたいと思う。なるべく自分の感性を磨きたいと思うものでね。
2004年12月 1日
今日はお休み。
毎月第1水曜日は■■会という名の無意味なミーティングだが、
休みの日に何をしても関係ないので欠席しようと思っていたけど、
最終的に参加してしまった。教育委員にやられた!
だけど■■会後の「研究班の集まり」は元々参加することにしていたので参加。
>キムが手を焼くから追い出したのか
そうだろうな〜。ザマーミロってんだ!
私を上手く扱えないのを自覚したのかしらね。
目の上のタンコブなのかもね。でも私には関係nothingだな。
たとえトレード先が変な所だとしても・・・である。
>最終的には工作員のみが残ったり
少なくとも現在の工作員の中で「来年3月の退職希望」をしてるのは、
2名だけ。この2名のうちの1人は、最初は工作員だという判断が
つかなかったものね。途中から「新規工作員」として登録したわ!
来年3月の退職希望を出している人は・・・。
主任、教育委員、●●指導係、新規工作員、工作員B、研究班の子が3人、
という8人である。
これより増えるかどうかは知らないが、私が当人達から聞いているのはこの8人。
12月1日現在で私を含めて21人のスタッフのうち、
1/3以上が退職希望していることになり、やはりこれは異常事態だろう。
キムの管理能力を問われていることになるってなもんよ。
トレード先も変な所らしいのだが、
今までの経験で「どこに行っても変な人や変な決まりはある」と思ってるので、
ここで初心(?)に戻ってやるしかないですな。少なくとも3ヶ月間は・・・。
今の勤務先は、比較的簡単に勤務交代してくれるというのが分かったから、
トレード先が本当に変な所なら、今度は自分からトレード志願しようと思っている。
人事権のある部長に退職を申し出て「辞めるのなら異動させてあげる」と言われた人から
直接聞いたから、たぶん間違いないだろう。
2004年12月 4日
今日は朝からお出かけ。教育委員の子と共に新宿に勉強会なのである。
これは本当に勉強。メーカーの勉強会があったので出かけた。
本当は私でなく別のスタッフだったのだが、
その子の身辺に不幸が出来たので私が代わりに行ったということである。
業者の研修を早めに切り上げて新宿のどこかで「筆王」というソフトを買った。
このパソコンに最初から入っている物があるが、機能制限があるし、
そんなに高くなかったので買った。3000円弱だったかな。
帰りにそのまま研究班の集会に行くことになったので、
それを終えての帰宅は5日の午前2時過ぎだった。研究班の集会は漏れなく食事会付きなのでね。
2004年12月 9日
本日はお休み。
だけど、昨日の研究班の集会で決まった最終案を清書しないといけない。
メンバーの皆さんには、昨日の時点で「修正個所はこことここ」という提示をしてあるので、
そこを原案通りに清書するだけなんだけどね。それを明日の勤務時間内に該当個所に提出する。
勤務時間内とはいうけれど、やはり早い時間が良いと思われるので
出勤時にしようと思っている。
何事もキムを通さなければならないとされている今の部署では、
先にキムに見せることが暗黙のウチに義務づけられているようだが、
私は違うから「提出してから」にする。
研究班の人達は「キムに…」と言いかかったのだが、
私が既定路線に乗らないと言うのを分かっているようだった!
最後になって色々とイチャモン付けられるよりは、
出してからやるのが正解ね、ここは。
そうした「キムが最も嫌がるやり方」をサラッとやってのけるのが醍醐味!
その作業を終えた後には、教育委員と共にちょいとお出かけしてきた。
目的はお見舞い。
卵巣癌で入院していた異職種の同僚がいるのだが、
最初は「卵巣のう腫」だということだった。
で、まあ一旦退院したのだが、前回の入院の時も北朝鮮からは誰も
そんな事(お見舞いに関すること)は言わなかったのよね。
異職種の長ですら、身銭をきってお見舞い金としているのだから、
部署単位で例え儀礼的でも・・・というのは、キムは気付かないみたいなのね。
普通なら具合が悪いところを見られたくないと思うのは、
私も自分の患者体験から充分に承知している。
それでも働いていた彼女を見て「この人は働くことが目的ではなく、
働くことによって自分を支えているのではないか」と思ったりした。
では、どうして行ったのか・・・。
理由は2つ。
この「異職種の同僚」が一旦退院した後、一時的にせよ働いてる姿を見ていて、強く感動したこと、
もう1つは「北朝鮮から誰も何もその事に触れない」ということに関して、私と教育委員の意見が一致していること・・・。
この2つである。
2004年12月10日
今日は2つの研究のうちの1つの方が発表日である。
最初は聞きに行くかどうかを迷っていたが結局は聞かなかった。
というのは、途中からキムと工作員が口を出したりしており、私や教育委員の子が出る幕ではなくなっていたからだ。
研究メンバーの中に工作員が新たに出てきたのでね。最初は私も教育委員も気付かなかった。
先月の始めくらいから、そういう風になっていたかな。今では「私達の知ったことではない。
途中でアドバイザーを乗り換えた罰だわ」位に思っているので、どんなに変なものでも別に・・・という感じ。
そもそも出来上がった論文を、部署内の限られた人にしか見せてないので、その時点で駄目ですがな。
それに対する皮肉も込めて、私が最後まで手伝うことになった方は
部署内のスタッフ全員に配布した上でチェックしてもらうようにした。
そちらの方の原稿が本日提出になる。
この前の集会で「提出前にキムに…」という雰囲気があったので、
それをやったら最後まで何も出来ないと察知し「それは私が何とかする」と言ったら誰も何も言わなくなった。
要するに、色々と言われないようにする為に「提出直後に部署全体に提示」という方法をとる。
提出する寸前になって色々言われると、必ずその部分にほころびが出るし、考える時間がないと良いものは出来ない。
また、焦ったり急いだりするような状況下にある時は、決して正しい判断が出来ないからだ。
私が最後まで手伝うことになった方の研究は17日発表なので
それまでに「当日配付資料」を作成する時間はある。ま、何とかなるでしょ。
今日は北朝鮮部署に上がる前に、最後まで手伝うことになった研究の
「抄録」というものを関係部署に提出しに行ってきたが、アクシデントがあった。
添付資料込みで7枚程度のものにしたが「これは抄録ではない」と言われて返された。
抄録というものに対する概念が違うようだ。
まあ、今まで何も言われずに来たのだが、
最後に近くなって1つ位は何かあると思ったけどね。
研究班は私以外に3人いるが、1人はお休みだったので
その子も皆が呼び寄せたらしく、
文才のある子なので色々と考えて出したそうだ。
私は自分の業務が忙しくて関われなかったけど・・・。
それと「〇〇には見せたのか」と言われたらしく、そいつは工作員なのだが、
昨日判明した事実として、
その工作員は9日に「飼い犬が具合悪い」と言い、半日ほど休んだ!
キムは有給扱いにしていた。
皆さん的にはどうよ??
余談がはさまったけど・・・。
研究班の人達には「抄録というものに対する概念が違うようです。
周りに惑わされることなく私達のペースで進めましょう。心配nothing!」とメールを送っておいた。昼休みにね。
ちなみに提出期限が今日の17時だったもんだから、
夜間業務をこなした後の子達はその時間まで残っていた。
あとで・・・
「本当にお疲れサンでした。かける言葉が見つかりません。
途中で携帯から送ったメールにも書きましたが、周囲の言葉に惑わされず、
私達の計画通りに進めていきましょう。
念のためにと思いまして、教師をしている知人等に聞いてみましたが
“私が考えている抄録の概念”は間違っていないようです。一瞬ボケたかと思いました。
では、また12日に」とメールを送っておいたわ。
文章表現はチマチマ言われるとしても、私達の共通認識で「主旨は変えない」というので一致しているから、
たぶん、このまま14日の発表原稿提出になるだろう。
14日も15日もパワーポイントを使って練習することになっているが、
14日の発表原稿というものは、本来「発表者が喋る通りの台本みたいなもの」なのだが、
昨日、抄録を提出しようとした時に言われたことからすると、本来の抄録と言われるものが発表原稿としている職場かもしれない。
従って、提出日には2つのものを用意しておき、まずは正規の発表原稿(台本みたいな方)を出してみることにする。
そしたら、たぶん返されるだろうから、夕方ギリギリに本来の抄録を出してみることにする。
もしかしたら、あの職場ではそうかもしれないからね。
2004年12月12日
研究班の集会は22時代に終わっていた。
今宵は全員を送り続けるというのでなく、場所が勤務先の近くだったので
寮の子はそのまま帰ったし、もう1人の子はどこかに行くとのことで、
送り届けたのは1人。
で、まあ帰りにドンキホーテに行って買い物をしてきた。
うちの最寄り駅近くにあったマツキヨみたいな感じのドラッグストアが
いつの間にか閉店していたので、どうしようかと思ってドンキに行った。
買い物自体は大したものではなく・・・。
ただ、途中で教育委員の子からメールと電話があったので、
ドンキホーテから家に帰る車中とか、駐車場に車を停めてからも話をした。
直ぐ下にある駐車場なのだが、そのまま車中で喋っていたわ、ワタクシ。
久々に白熱した議論と呼べるお話だったと思われる!?
相手はきっと「■■さんに八つ当たりされた」と思っているだろうけど、
不明瞭にしてはいけない部分なのでね。
教育委員会レベルでやっておくべくことをやってなかった・・・という点は、
言っておきますという回答だった。
キムが夜間業務明けの子を夕方まで残しておいたのに関しては、
「将軍の最後の突っ張りか(笑)」という感じ。そんなこんなで帰宅は13日の午前2時過ぎ。
2004年12月15日
本日は発表本番を想定しての最終チェックだった。
発表者は練習を重ねた成果なのか、時間が一定してきたように感じた。
各部署の持ち時間が6分間なのだが・・・。
最初の頃は、5分代の前半だったり、6分を越えたりしていたけど、
昨日と一昨日の練習では一定してきたらしく「5分50秒代」になっていた。
当日は多少の緊張があるから、早口になることが予測される。
従って、時間内に終われることだろう、たぶん・・・。安心して見ていられるようになった。
発表者が突然病気になったり事故にあったりしない限り、普通に終われることではないかと感じている。
万が一の時は「私が発表する」と言っておいたが・・・。
発表者の子が「病気をしないのがとりえなんで大丈夫です」と返してきたので、
ああ、この子達は少し自信をつけたのかな〜、なんて思った。当日が楽しみである。
2004年12月17日〜20日
17日は夜間業務から明けての研究発表だった。
17時30分からだったので、17時10分に集合をかけたのに、
プロジェクターの関係で「16時半に来い」との連絡が寸前になってあり、そのままタクシーで職場へ。
練習で使ったのと違うプロジェクターだったから、という理由だった。
でも、まあ少しの待ち時間で本番になった。
発表係の子は今までで1番上手くできたし、
何人かいる発表者の中で最も凛としていたような気がする。
ところが質疑応答で代役回答した私が緊張してズッこけてしまい、
弘法も筆の誤りってことで、ご愛敬だったけどね(笑)。
声が緊張していたそうで、自分でも分かった。まあ、たまにはね。
・・・で、その後は打ち上げと称した食事会を焼き肉屋でやった。
当然(?)帰宅は日付変更線越えだったわね、エエ!
すなわち、18日になっていたということ。
元々、お休みだったので朝になって一旦起きたものの、昼過ぎまで寝ていた。
で、まあ、18日の夜は教育委員の子と共にラーメン博物館へ。
1年以上行ってなかったので、新しい店が入っていた。
どの店舗にも「ミニラーメン」というのがあり、全て550円だったので、
2人で相談し、ミニラーメンを食べ歩くことにした。
6件のうち3件は食べられたけど、そこが限界のようだった。
ミニとは言うものの、1杯のラーメンの6〜7割程度の玉なので、
それを3件分としたらトータルで2杯分は食べてることになる。
2人ともお腹をさすりながら帰りの車中で色々と喋っていた。
もう、今日こそはデザートが入る隙間はないだろう・・・と思ったが、
「私、入りますよ」というのでデニーズでマシンガントーク。
教育委員の子を送り届けてから帰宅したのが、19日の0時過ぎ。
研究発表が終わったら数日間は「喪に服する」と宣言していたのに、私って一体どういうヤツかしら?
19日は北朝鮮でのラスト勤務だった。
キムも工作員もいないし、メンバー的には良い感じの勤務になっていた。
北朝鮮での勤務を終えて、19日は元研究班の子と教育委員の子と共にうちの近くで飲んでたら、
駅で人身事故があったらしく、帰りに線路の下で大騒ぎでした。3人でギャラリーになったけどね。
そして20日の午後からは、マッサージに行ってきた。
北朝鮮で研究をやっていたメンバーの1人も同行したが、その子も肩凝りと腰痛があるらしく、
前から行きたがっていた。で、まあ、今日は2人とも運良くお休みだったと・・・。
マッサージを終えてから焼き肉を食べに行った。
19日は元研究班の子と教育委員のお陰で、
20日はもう1人の研究班の子のお陰もあって、
北朝鮮での最後を気持ちよく終える事が出来た。
2004年12月23日
昼休みに“北朝鮮の教育委員”にメールを送ったのだが、
彼女はお休みだったようで直ぐに返信が来た。
単文のやりとりをして「明日(24日)の勤務後にラーメンを食べに行こう」と言っていたが、
彼女は今日(23日)と思っていたらしく、
帰りのバスの中で再度メールが来て「まだ終わりませんか?」とね。
バスの中で「明日(24日)のラーメン屋はどこが良いかな」なんて考えていたところ、
今日(23日)ではないのか、と。
そこで直ぐに切り替えて「分かった。バスを降りたら迎えに行くわ」と返信した。
ご飯を作るのも面倒だったし、別に用事もないし…。
■■家のラーメンとデザートを食べに行ってきた。
2人で「あーでもない、こーでもない」とお喋りしてたかな。
彼女も私も24日が朝から勤務なので、23時過ぎには帰宅してたわ!
2004年12月25日
クリスマスなんだけど予定がない。
今日は本当に予定がなかったので、
北朝鮮の教育委員の子をマッサージに連れて行った。
当然だけど、マッサージ前にぱ軽くお食事とマシンガントーク付き!
彼女は夕方から叔父さんのうちに呼ばれているとのことだったから、
マッサージの後に近くまで送り届けてきた。
それから一旦帰宅してプールに行って来た。
最初は念入りにストレッチをして柔軟な身体にし、
それからビート板を使って少し水に慣らした。
それからクロール!
久し振りに会ったインストラクターのお姉さんに「変わってないですね」と言われて上機嫌になり、
更に泳ぐ、泳ぐ。
しかし疲労しては元も子もないので適度に切り上げた。
う〜ん、ビート板込みで500mは泳いだぞ!プールの後はサウナに入り、これまた上機嫌なり。
あ、そうそう。
北朝鮮の教育委員の子って、今の部署の責任者が1スタッフの時に
一緒に働いていたんだって!使えないヤツと言っていたわ。
2004年12月26日
休日だというのに早く起きてしまった!
今日はうちの中の掃除とたまっている洗濯物をしておかないとね。
あとは美容院に行って髪を切っておく事かな〜、なんちゃって。
年末ギリギリだと混雑するだろうし、近くに美容院があり便利だわ。
>新しい部署の所属長は、使えないのなら逆にluckyかも
>上手く扱えば操縦できるかもよ。
確かにそうかもね。
昨日、その所属長に「指摘されてる途中で“こいつ、大丈夫か?”と思った」のだが、
それはキムやチクッた子から聞いたと思われることを、
そのまま言葉通りにコピーして喋るのだ。
少しは加工して自分の言葉にすれば良いのに・・・という感じ。
要するに、他人の言葉を鵜呑みにするタイプ、という印象だな〜。
本当にバカ!
キムが北朝鮮を出る人達のことを色々と触れ回る、なんていうのは
事前に分かっていた(過去の例あり)から、そんなのは別にいいとして、
キムの言葉をそのまま言えば誰でも分かる、っていうの。
北朝鮮の教育委員の子が言ってたけど
「あの人(新しい部署の所属長)に管理職は無理」ってね。
部署内でも馬鹿にされてる感じ。これは4日目にして察知済み。
新しく入った私がいる所で、他のスタッフが「あいつ」とか「あれ」とか言っているんだもの。
もう少し考えて言えばいいのにね、と思ったわ!
ま、でも廊下で大声を出して怒鳴ったりしないだけ、キムよりはマシかな。
部署全体が変なのか、一部なのかはまだ分からないけど、
間違いなく所属長は変なヤツのようだ。
自分の評価が下がると言って、始末書をため込むなんてね。
だから、所属長からコメントをもらったら自分で部長室に持っていくように
なったんですってよ、北朝鮮の教育委員が言っていた。
2004年12月29日
今日はちょっと遅くなりましてね・・・。
ま、大したことではないけれど、そのお陰で北朝鮮のメンバーと帰りが一緒になってご飯を食べてきた。
そこで(北朝鮮的には)大変なことが起こったと分かってね。
どうやら、昨日の焼き肉の席に雇われ経営者を始めとする人達もいたらしく、
雇われ経営者がキムの自宅に電話して「あなたが辞めないなら私(雇われ経営者)が
辞める」と言ったみたいで、キムが部長室だか何だかに泣きついて大問題に発展したみたい。
雇われ経営者よ、よく言ったという感じに受け取ったけどね。
あの組織は、普通の感覚の人達がいられなくなる環境のようである。
その席にいた人達は皆「脱北希望者」なので、今日の勤務者は呼び出されて大変な目にあったみたい。
私はそういうのを聞いているだけで、
話にあまり加われなくてそんなに楽しくなかったかな。
結果的には行かなくて良かったと言われたけれど、
どうやら昨日の席に「今の部署の主任(30代で“女が腐ったみたいな男”)」が
いたみたい。それでも私は行きたかったけど・・・。
仲間はずれにされてるような感覚になってね〜。
プールに行ってなければ、行けたかもしれない自分がとても悔しい。
私が部長に呼ばれてたら、言ってたね。
みんな、キムが嫌だから辞めるんだ、ってね。
脱北希望者の皆さんは、それを言ってないからダメなのよね、たぶん。
ストレートに言えば良いのに! と思っちゃった。
2004年12月30日
ガスファンヒーターを出した。室内温度が測定できるやつなんだけど・・・。
この部屋の温度は10℃だった。エアコンはつけてるんだけどね。
電気代とガス代が高くなる季節がやってきた。
暖まりやすさは断然ガスなんだけど、寝てしまうとまずい。
気を付けないといけないわ!オバサンは失敗をやらかすから。
昨夜、遅くに「北朝鮮の教育委員」から電話があり、
結局は午前2時半くらいまで喋っていた。
お喋りする時間の長さは「6対4」の割合で、向こうの方が多いと認めていた。
私を含めた5人で食事をした後、別のところで飲み会に参加していたらしく、
そこから帰ってから電話をよこしたみたい。飲んでいても酔えなかったし、楽しくなかったと言っていた。
>どうして、雇われ経営者が辞めるという流れになったのか
雇われ経営者がキムの自宅に電話して
「あなたが辞めないなら私(雇われ経営者)が辞める」と言ったから。
>このお家騒動を、外から見ていれば面白いでしょう
ホント、そんな感じ。対岸の火事・・・とでも言うべきか。
状況は随時、北朝鮮の「脱北希望者達」から入るだろうしね。
>北よりの主張を持った人なのでしょうか?
部長は、そうかな。
だけどキムよりは話を聞く姿勢を持っていると思っていたが、ちょっと違うかも。
一昨日の焼き肉の席にいた人達は、部長室等で怒鳴られたそうだし、
私は耳にしたことがないが「■■のバカ■■」とかいうみたい。
いくら信用できないと思っていても、部下の前で言うべき事ではないと
考えると、ちょっとね〜。
>部長は雇われ経営者とは対立していて
そうみたいよ。どうも。
そういう意味でも脱北しといて良かったな〜!
昨日は、半分「苦情処理班」だった。
北朝鮮の教育委員の子にも言ったのだが、
午前2時半まで喋っていて朝食を作る元気はないので、
今朝は松屋の朝定食だった。年内最後のご出勤だった。
2004年12月31日
一旦、朝には起きたが、やる事はないし2度寝した。
あとはお風呂の掃除だけ。いつも大晦日にやってるのでね。
年末だからと言って特別にやる事はなく、
買い物も済ませているのでテレビ三昧の1日。
お昼前から女子バレーのビデオを見た。
5月に行われた世界最終予選の韓国戦なんだけどね・・・。
ビデオを見ていたら、いつの間にか外では雪が降ってる事に気付き、
ビデオに集中していたのだと思った。
隣の民家やマンションのベランダ、そしてこの部屋のベランダにも積もってきてる。
これは相当なものですがな。
朝のうちに洗濯機を回したけれど、外に干さなくて正解だわ!
昨日からガスファンヒーターを出しているので室内で乾燥してた。
明日の朝になるまでもなく、今日のうちに積もるんだろうね。今よりももっと。
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