第6回アジア選手権
 全日本女子バレーボールチームはこの大会でバルセロナ五輪の出場権を獲得した。





この写真の後列右端が吉原選手です。





《参考資料》
バレーボールマガジン1991年(平成3年)11月号
 ※この号は「第6回アジア選手権」の特集が組まれているので、
   参照ページは各々のところに記載することにします。

■開催期間  91年9月14日〜9月21日(137ページ)
■開催地  タイ(137ページ)
■各チーム及び全日本の戦跡(137〜138ページ)





■参加国と最終順位(138ページ)

1位  中国
2位  日本
3位  韓国
4位  北朝鮮
5位  中国台北
6位  オーストラリア
7位  タイ
8位  ベトナム
9位  インドネシア
10位 ニュージーランド
11位 香港
12位 スリランカ
13位 フィリピン
14位 インド



■全日本参加メンバー(138ページ)

佐藤伊知子
杉山 明美
中田 久美
石掛美知代
中西千枝子
藤原 孝子
斎藤真由美
大林 素子
高橋有紀子
吉原 知子
福田記代子
中村 和美…2003〜2004年にかけて全日本チームのマネージャーになる中村さんです。

■吉原選手に関する記事の抜粋
◎13ページ(91年9月20日韓国戦の記事より抜粋)
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9月20日午後4時ジャスト、試合開始のホイッスルが鳴った。
約2000人の観衆でふくれあがった会場は
…(中略)…。
日本のスタメンはセッター中田の対角に大林、レフトに斎藤と中村、
センターに石掛、吉原
…(中略)…
もう、どちらも気力の勝負。気持ちで押された方が負けだった。
土壇場、バックの佐藤が吉原が何度も何度も飛び込んでレシーブしてつないだ。
…(中略)…
終わってみれば3−0のストレート勝ちだったが、第2セット4−11からの大逆転に
日本の底力を見た。
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このような記載があることから、吉原選手はこの試合に先発出場していたことが分かる。

◎57〜59ページ(韓国戦のレポートを時事通信社の記者が書いている)
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ベンチ前でハイタッチを交わしてコートへ出ていった日本の先発6人は予定通り、
中村、石掛、大林、斎藤、吉原、中田。
…(中略)…
両チームとも硬さがありありで、ぎこちないプレーが続いた状態から日本が先に抜け出した。
金南順のミス、吉原の速攻、中村のストレートへの強打。
…(中略)…
このセット(第1セット)中田はあまり大林にトスをあげなかった。
「素子は当然マークしてくると思ったから、ほかを使えるウチに使っておこうと思って」と。
代わりに20才の中村と21才の吉原が司令塔の期待に応えた。
若い相手の自滅を誘ったのは、日本の若手の頑張りだった。
「やっちまえ、って感じでした」と試合後の吉原。こちらが拍子抜けするほどシレッとした
度胸が大事な試合でものを言った。

…(中略)…
日本に力がついたなあ、と感じさせたのはここからだ。
やっとの思いで追いついた途端に突き放された時のガクッという思いは、端から見ている以上に大きい。
そのピンチをまず石掛のタッチ、吉原の速攻などでサイドアウトを奪ってしのぐ。
…(中略)…
石掛が随所に「らしさ」を発揮し、吉原が頑張ったことで不安材料だったセンターが安定していたことが、
どれほど米田采配を助けたことか。
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■祝勝会の様子(80〜81ページ)