第43回黒鷲旗大会

《参考資料1》
バレーボールマガジン94年(平成6年)6月号
31〜37ページ
108〜111ページ
156ページ

■開催期間 1994年4月30日〜5月5日

女子は日立が2年連続17度目の優勝を・・・とある為、前年の黒鷲旗も優勝していた事が
分かる。

■優勝チームなど(下記参照)

豆知識(ダイエーのメンバー表にある「名取」とは、全日本で2003〜2004年にチームメートとなった
辻知恵選手のことです。)


吉原選手は優勝シーンの正に“その場”にいます!


■吉原選手に関する記事の概要(36ページ)
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日立は1セットも落とすことなく順調に2連覇を達成した。
(中略)
セッター永富と大林、福田、多治見、吉原、村田とそろうスパイカー陣は
そのまま全日本でもレギュラークラス。
(中略)
日立は昨年(管理人・注:1993年=平成5年のこと)も優勝しているが、
その前となると第37回大会(88年)までさかのぼらなければならないほど、
空白期間が長かった。
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《参考資料2》・・・2004年6月29日追記
月刊バレーボール94年(平成6年)6月号
60〜71ページ
165ページ


■吉原選手に関する記事の抜粋(62ページ)
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LIVE UFOで膝を痛めて、本来の力を出せないでいたセンターの吉原が、
決勝前日の練習中、今度は腰を痛めた。
「私がセンターにはいることも考えた」(大林主将)
「トモ(吉原)の速攻が多用出来ないんで、どうゲームを組み立てるか迷った」(永富)
しかし、ベルフィーユは動じなかった。
(中略)
第1セット、序盤からサイドアウトが続く。
日立は大林、福田の強打、更に腰の痛い吉原も1人時間差、速攻を絡め相手の流れを寸断する。
(以後省略)
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