参考資料1(中田久美さんの著書より)

参考資料2(中田久美さんの対談本より)

参考資料3(バレーボールマガジンより)

参考資料4(月刊バレーボールより)

参考資料5(バルセロナオリンピック壮行試合のパンフレットより)

参考資料6(JOCのサイトより)

参考資料7(月刊バレーボール92年10月号より)

参考資料8(月刊バレーボール92年9月号より)



《参考資料1》
1993年3月25日・日本文化出版発行
「Believe in Dreams 夢を信じて・中田久美著」の
64ページより、引用・抜粋。
この本の中で、中田久美さんは吉原選手のことを「トモ」と呼んでいます。

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リーグ戦を戦いながらも、常に世界のことを考える。
日立というチームでプレーしているかぎり、それはもうあたりまえのことだった。

(中略)

福岡であったあのアジア選手権、中国に勝ったその試合は、今でも、時に、
ビデオテープをひっぱりだして、見ることがある。
そう、あのときも・・・。
バルセロナオリンピックに出発する前にも、トモといっしょに見た。
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※この文章の中でのビデオテープとは、
 1983年のアジア選手権・対中国戦のビデオのことです。
 中田久美さんにとっての最後のオリンピックとなったバルセロナよりも、
 強く心に残る試合だったようです。
 その試合のビデオを、バルセロナに出かける前に吉原さんと一緒に見たという記載があります。


《参考資料2》
天才セッター・中田久美の頭脳
2003年3月15日新潮社発行・二宮清純著

この本は、スポーツジャーナリスト二宮氏と中田久美さんとの対談形式で行われています。
二宮氏が中田久美さんを分析しているというタイプの本であり、単なる対談本とは違います。

34ページに1983年11月17日アジア選手権・決勝リーグ
日本対中国の試合について記載があります。
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これは中田が現在でもベストゲームに挙げる試合である。
前日の韓国戦で、日本は翌年のロサンゼルス五輪への切符を手にしていた。
しかし、中国戦では1979年の世界選手権から負けが続いており、
日本にとって中国は越えることが出来ない“アジアの壁”であった。
この試合で、日本はパーフェクトな試合運びで終始中国を圧倒。
15−10.15−10.15−11と正に完勝。大会をも制した。
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《参考資料3》
1992年(平成4年)バレーボールマガジン8月号

この号では「バルセロナ五輪ガイド」という特集記事があります。
その中から吉原選手に関する部分を拾ってみました。
各ページから引用・抜粋しています。


■84〜87ページ・・・出場国紹介
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Aグループ

日本(アジア代表)
CIS(ロシアのこと)前回優勝
アメリカ(ワールドカップ91上位国)
スペイン(開催国)

Bグループ

中国(90年世界選手権上位国)
オランダ(ヨーロッパ代表)
キューバ(北中米代表)
ブラジル(南米代表)
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■70ページ・・・米田一典監督のインタビュー記事(取材は6月17日との記載あり)
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山内、福田、吉原、多治見、大林、中田のスタメンですと、
平均180センチ近くなります。このメンバーでいければ大成功。
でも、中村や佐藤の力が必要なときが絶対にきます。これはもう間違いありません。
部分的なリリーフだけでなく、彼女たちがスタメンで出ることも十分あり得ます。
佐藤、金村、苗村、中西、高橋たち、チビッコ軍団と呼んでいるんですが、
彼女たちの頑張りには頭が下がる思いです。
ある意味ではスタメン以上の戦力として計算しています。
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監督のこの発言は、記者に「怪我の功名と言いますか、中村選手の代わり(左手骨折)を
務めた福田選手が見違えるようなプレーを見せましたね」と聞かれて答えているものです。


■72〜75ページ・・・全日本女子チームのメンバー紹介
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中田 久美
大林 素子
山内 美加
佐藤伊知子
中西千枝子
高橋有紀子
苗村 郁代
石掛美知代
多治見麻子
吉原 知子
福田記代子
中村 和美…ワールドカップ2003で全日本のマネージャーを務めた中村さんです。
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このバルセロナオリンピックで吉原選手の背番号は10だったようです。


■74ページ・・・監督から各選手へのメッセージで、吉原選手の部分
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ここ1年で吉原は本当にうまくなった。成長したのは誰が見ても分かるほどだ。
サーブレシーブがセッターに返って、コンビがスムーズに行けば、今の吉原なら
確実にサーブ権を取ってくれる。
ただ、盲腸の手術で全日本を離れていた分、出遅れている。
バルセロナオリンピックまでに人の3倍は努力しないと体力的にも追いつかないだろう。
だが、吉原も人間的に明るくなって元気が出てきた。まだ、もう少し元気がほしい所だが。
今、吉原に1番言いたいのは“守りの要”になってもらいたい、ということ。
フォワードでの動きはよしとしても、あとは守りとつなぎ。
吉原にはもっとレシーブ力を付けてもらって、バルセロナでは頑張ってもらいたい。
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■81〜83ページ・・・アメリカ戦の戦い方(?)の中にある記載
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日本のブロック、とりわけセンターのブロックが鍵を握りそうだ。
シャット出来なくてもワンタッチを取れば、そこから素早く切り返してコンビで攻める、
とは言うが、そのワンタッチしたボールが後方の繋げる所に飛んだらの話。
高さ、パワーのあるアメリカの攻撃に対し、力負けしてあおられてしまい、
左右に弾いてばかりでは、バックにどんな名レシーバーを起用しても繋ぎきれない。
(中略)
日本は「拾ってつないで…」をキャッチフレーズに強化を進めてきたが、
その為の最低限のブロック力は必要なのである。
「ブロックが良ければ自然とレシーブも上がるようになる」と、中田が言うのも分かる。
(中略)
日本のセンターラインは吉原と多治見でいく。
「しっかりとしたコンビを作り上げるには最低でも5年は必要」(中田)というから、
やはり不安は拭いきれない。吉原は、中田とのコンビは前々回の日本リーグから3年目に
なるが、多治見は1年目である。
(中略)
米田監督は「メダルが取れるか取れないかは多治見の出来にかかっている」という。
チームをリードする中田も「多治見と山内をいかに使うか」を最大のテーマに
残り少ない練習に集中した。
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この記事の横に白黒写真があり、吉原選手がアタックしているのですが、
その写真のコメントが「中田と吉原のコンビは1番安定感がある」となっています。
この写真での吉原選手は、全日本のユニホーム背番号10です。


《参考資料4》・・・2004年6月10日に追記
月刊バレーボール1992年(平成4年)6月号の巻頭特集および20ページ







《参考資料5》・・・2004年6月10日に追記
バルセロナオリンピック壮行試合(有明コロシアム)でのパンフレット




《参考資料6》・・・2004年6月11日に追記
バルセロナオリンピックにおける全日本女子チームの戦跡
オリンピック歴代日本代表選手全記録
http://www.joc.or.jp/database/index.html
↓  ↓  ↓  ↓  ↓
ここから「競技名」で「バレーボール」を選択すると
以下のリンク先に飛びます。
↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://www.joc.or.jp/database/name.html


「大会:夏季大会、大会名:第25回 バルセロナ大会(1992)、
 競技名:バレーボール、バレーボール」の検索結果 [2件 ]
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大会名: 第25回 バルセロナ大会(1992)
競技名: バレーボール
種目名: 女子
選手名: 石掛 美知代、大林 素子、佐藤 伊知子、高橋 有紀子、多治見 麻子、苗村 郁代、
     中田 久美、中西 千枝子、中村 和美、福田 記代子、山内 美加、吉原 知子
記録: 5位入賞

最終順位  
1位:キューバ
2位:C.I.S(ロシア)
3位:アメリカ
4位:ブラジル
5位:日本
6位:オランダ  
7位:中国
8位:スペイン


《参考資料7》・・・2004年6月17日に追記
月刊バレーボール92年10月号30ページ
 バルセロナオリンピックに出場した大林素子選手、中村和美選手、多治見麻子選手、
 そして吉原知子選手が感想という形で語っています。
 中村和美選手は、2003〜2004年に全日本バレーボールチームのマネージャーとなりますし、
 多治見麻子選手は、日立だけでなく全日本でも共にプレーすることになります。






《参考資料8》・・・2005年1月5日に追記
月刊バレーボール92年9月号177ページ〜180ページ